法曹養成制度については、様々な議論があります。

確かに、法科大学院ができて10年が経ち、様々な課題も表面化していますから、その意義や今後の改革について正面から議論をする必要があります。

その際には、法科大学院を廃止すべきと言う議論も当然あるでしょうし、逆に、司法修習の位置づけを大きく変えるという議論もあるでしょう。法曹養成の本質論からの十分な議論が必要となります。

一方、どうも、この問題は、すぐに感情的な議論になりがちです。事実に基づかない、あるいは一面的な事実だけをとらえた攻撃的な議論が展開されがちです。しかし、法科大学院教育を受けた若手法律家としては、あくまで理性的な議論を継続していきたいと考えます。


パブリックコメント
「法曹養成検討会議・中間的取りまとめ」について

 
弁護士 井桁大介
弁護士 水上貴央
 
はじめに
 
法曹養成に関する課題や論点には様々なものがある。また、各論点のうち、何が重要かという判断についても意見が分かれる部分があろうと思われる。
この点に関し、私自身が現在の議論において中でも特に喫緊かつ重要と考えるものは、「①今後の司法試験合格者数を何人とすべきか」「②司法修習の修習専念義務を維持すべきか、また③司法修習を義務として継続すべきか」「④法科大学院の修了を司法試験の受験要件から外すべきか」「⑤法曹養成期間をいかに短縮するか」「⑥予備試験合格者を今後拡大すべきか」「⑦未修者教育の関係で共通到達度確認試験を導入すべきか」以上7点である。
中でも、④と⑥は、今後の法科大学院制度を否定することにもつながる重要な論点である。私自身は、法科大学院制度には多くの課題があるとはいえ、今なお存在意義があると考える立場に立つところである。もちろん、法科大学院制度を否定する見解にある立場から、具体的な事実とデータをもって法科大学院制度を廃止すべきだという議論が提起されることはあり得るし、これに対しては、理性的に十分な議論が尽くされるべきであると考える。しかし、そういった本質論の議論なしに、④や⑥の議論がなし崩し的に進むことに対しては明確に反対したい。
敢えて明確に言えば、法科大学院の修了を司法試験の受験要件から除外し、また予備試験による司法試験受験資格付与の拡大を行うことは、法曹養成プロセスとしての法科大学院を廃止することと実質的に等しい。そうであれば法科大学院制度を廃止する、あるいは若手法曹向け教育機関としての位置づけに全
面的に切り替える議論をすべきであって、この議論をせずに、一見中間的に見える④や⑥の議論を先行させることは許されない。
以下では、上記7点について具体的に意見を述べさせていただく。
 
項番 第2「今後の法曹人口の在り方」 の関係
 
<意見1>
 法曹を目指すものにとっての予見可能性の確保という観点から、司法試験の年間合格者数の数値目標は設定すべきであり、また適切に公開すべきである。合格者数の目標値については、今後5年間は1500人とし、その後は適切な実績検証のもとで5年ごとに合格者数の数値目標を公表すべきである。
 
<理由1>
 司法試験合格者の目標となる数値を何人とすべきか、という点については、法曹へのアウトリーチの視点、新規登録弁護士の就職難を大きな問題とする視点、法曹を選択することに対するコストリターンの視点など、様々な方向からの議論があり、弁護士会においても、法科大学院においても、必ずしも一枚岩ではない。
 しかしながら、ここで重要なことは、多くの有為な人材が法曹となることを積極的に捉え、法曹へのチャレンジをしてもらえる環境を整えるという点である。今後の合格者数の推移に何の予測も立たない状態では、特に社会人の有為な人材は、敢えてリスクをとって、「あまりに不透明な」法律家への途へと踏み出そうとは考えない。逆に、合格者数が予見できる状態であれば、それが現状の水準よりも少ないとしても、それぞれの志願者が、自らの計算で、適切に法科大学院へ進学すべきかを判断することができる。
重要なことは透明性である。適切に合格者数の見込みを公開し、法曹志願者にとって、法曹を目指すことのリスクリターンに関する予見可能性を担保することこそが重要である。
 ついては、今後5年程度の合格者数目標として、現状において現実に就職難が顕在化していることを踏まえ、1500人という数値を設定したうえで、法科大学院入学者の動向、定員状況、司法試験の実質倍率、司法試験合格者の就職状況、若手法曹の活躍動向についての継続的検証を踏まえ、5年後に再度、次の5年間の合格者数目標を設定し公開すべきである。
 合格者数を何人にすべきかに関する具体的事実を根拠とする明確な答えは、残念ながら現在用意されていない。現時点で明らかな事実は、現状の2000人前後の合格者数において、数100人規模の就職できない法曹有資格者が存在するという点である。こうした状況がすぐに改善することを示す先行指標は今のところ見当たらない。
法曹の新たな活躍の場の開拓努力は、当然今後も継続されるべきであるが、こうした成果は地道な努力により時間をかけて実を結ぶものである。このままでは、たとえ必死に勉強に打ち込み司法試験に合格したとしても就職先が無いのではないかという危惧感から、法曹を目指すことをあきらめてしまう者が増加していく可能性が高い。
 法曹の質の確保の観点から、最も重要なことは、有為な人材が数多く法曹を志してくれる状況を回復することにある。これは、市民にとっても、法曹にとっても法科大学院にとっても共通の利益である。そのためには、一旦、現在の合格者数である2000人程度よりも、2割ほど合格者数を減らし、状況を落ち着かせる必要があると考える。
 
項番 第3「法曹養成制度の在り方」 4司法修習について の関係
 
<意見2>
司法修習制度について、速やかに修習専念義務を撤廃すべきである
 
<理由2>
 司法修習制度について、従来の給費制を変更し、貸与制に踏み切った以上、修習専念義務を課する根拠は失われ、修習専念義務を廃止すべきである。これは速やかに必ず実施しなければならない。
貸与制で、参加義務ならびに専念義務ある司法修習とは、既に司法試験に合格した者に対して、さらに無償での1年という長期にわたるフルタイムの研修を強制し、そのうえ他の収入機会を得ることさえ認めず、実質的には国からの借金を強制するものであり、負担と実質的効果の間のバランスを著しく失している。
したがって、今後司法修習制度を義務的に実施し続けることを前提としても、少なくとも修習専念義務については廃止しなければならないと考える。
なお、現在、給費制を復活させるべきとの主張が一部においてなされており、この主張が通る場合には、専念義務のある司法修習が正当化される余地があると考える。
 
<意見3>
司法修習自体の選択制には反対する。
 
<理由3>
(1)法曹養成期間の長期化は議論を避けて通ることのできない深刻な問題
 
さらに、司法修習への参加自体を選択制とするところまで制度変革を進めるか否かという点は、法曹養成制度をどのように考えるかというポリシーに関する重大な問題である。
すなわち、現在の法曹養成制度が抱える重要な問題は、法科大学院教育と司法修習という二つの法曹養成プロセスが、一部重なりあった形で存在しており、いわば屋上屋を重ねた状態となっている点である。たとえば、社会人として法曹を目指そうとする者が、法科大学院と司法試験、司法修習を併せて最短で4年(既習コース)あるいは5年(標準コース)もの養成期間を前提とするプロセスに、現状の収入をなげうって算入することは、一般的に合理的とは言えない。
本来、法曹養成制度において、法科大学院をその中核に据えるという意思決定をするのであれば、その時点で司法修習制度を廃止し、裁判官や検察官は弁護士から任官するという、いわゆる法曹一元制度を採用することが、社会的コストや合理的な法曹養成期間という視点から必要であった。その裏返しとして、法科大学院は、司法修習における法曹養成教育を代替しうるレベルを要求されるべきであり、その実現が困難、あるいはその意思のない法科大学院は、認可されるべきではなかった。
しかしながら、現実には法科大学院と司法修習は、形式的には棲み分けられたと位置付けられ、両者が共に存在し続けている。このこと自体が、法曹になるためにどうしても必要な期間を、多くの法曹志願者がその夢を諦めてしまいかねない程に長期化させ、法曹志願者の減少に歯止めがかからない現状の原因の一つとなっている。この問題への正面からの議論は、法曹志願者を増加させていくという目的を実現するために不可欠である。
 
(2)司法修習選択制は社会的コストの浪費
一方で、だからといって、司法修習を受けることを法曹資格付与と無関係にするといういわゆる司法修習選択制の議論には反対である。
この議論は、法科大学院修了を、司法試験の受験資格付与と無関係にすべきであるという主張と一種の相似形となっていると考える。
司法修習を選択制にするとは、具体的には、司法修習への参加を任意とし、二回試験を廃止し又は第三者機関による実施として司法修習との関係を切断して、司法修習の研修内容に意義を見出す者だけが参加する任意研修制度に切り替えるという方法である。
しかし、私はこの主張を支持しない。そのようなことをすれば、裁判官と検察官を目指す者しか司法修習になど行かないからである。司法修習にどれほどの価値があるかという評価には様々なものがあり得るが、たとえ価値があるとしても、その価値は、司法修習に行かなければ理解できない価値である。修習に行かなくても何の不利益もないのであれば、その価値を理解していない殆どの司法試験合格者が、司法修習に1年もの期間を敢えて費やすとは到底考えられない。
すなわち、司法修習を選択制にすることは、結局、司法修習を廃止するということに等しいが、最初から司法修習を廃止することに比べ、長期的に遥かに多額の社会的コストが発生することになる。
貸与制の司法修習において、今後、修習専念義務が排除され、他の収入機会を禁止しない場合でもなお、費用と効果の視点、社会的意義(法曹の質の確保)の視点からみて、参加義務のあるかたちで司法修習を実施すべき価値がないと判断するのであれば、むしろ最初から司法修習を廃止、または更なる短縮をすべきであって、一旦司法修習の参加義務を無くし選択制とするといった中間的な対応を取るべきではない。
 
 
項番 第3「法曹養成制度の在り方」 2法科大学院について の関係
 
<意見4>
一部に主張されている法科大学院修了を司法試験の受験要件としないとの変更に反対する
 
<理由4>
意見3(2)で述べた司法修習選択制の議論の相似形の主張として、法科大学院の修了を、司法試験の受験資格付与の要件とすべきでないというものがある。しかし、同項で述べたのと同様の理由で、多額な社会的コストの浪費につながるだけであるから反対である。法曹養成検討会議は、この点をより明確に打ち出すべきである。
すなわち、法科大学院に、法曹養成制度の中核を担う価値がないと考えるのであれば、最初から、法曹養成制度としての法科大学院制度を廃止すべきである。具体的には、法科大学院の数を大幅に削減したうえで、若手法曹向けの専門教育機関、若手法曹から法学研究者を目指す者への研究機関として全面的に制度変更させるといった制度変革の提案がなされるのであれば、正面から議論すべきであろう。
その際には、現在重複して存在している司法修習制度と法科大学院制度の各々の成果と課題を具体的に明らかにし、どちらを法曹養成制度の中核と据えるべきか、あるいは現在のような形式的な棲み分けではなく、合理的な法曹養成期間を実現できる実質的な棲み分けを行うことは可能かという視点から、国民への情報公開を前提に、徹底的な議論を行う必要がある。さらに、法科大学院制度を今後も法曹養成の中核に据え続ける場合に、その法科大学院に要求される機能や教育水準とはなにか、その機能や教育水準を担いうる法科大学院は現実に何校存在するのかという議論も避けられない。法科大学院制度に対して賛否いずれの立場をとる者も、公開の場での徹底的な議論を避けてはならない。法曹養成は、国民の税金を投下して行っている制度だからである。
法科大学院の修了を司法試験受験資格と無関係にするなどという、一見ソフトだが制度趣旨を全く没却させるような主張は、つまり、こうした徹底的な議論を避けて、事実上法科大学院を立ち枯れさせようという主張である。そのようなことをすれば、誰も法科大学院には行かないからである。
法科大学院教育にどれほどの価値があるかという評価には様々なものがあり得るし、個別の法科大学院によっても大きな差があるが、たとえ当該法科大学院の教育内容に価値があるとしても、その価値は、本質的に、そこで実際に教育を受けなければ理解できない性質のものである。私自身は母校の法科大学院の教育内容やそこで得られた教育内容以外の様々な先輩や仲間との出会いに極めて高い意義を見出しているが、それは入学以前には判らなかった価値である。
法科大学院が、法曹倫理や実務教育など、司法試験との関係では一見関係が薄いように見えるカリキュラムを必修とする一方で、司法試験予備校が最も小さなコストで司法試験合格を目指すカリキュラムを構築し、その旨を宣伝すれば、法科大学院の価値を理解していない法曹志願者の多くは、敢えて法科大学院に2年から3年もの期間を費やそうとはせず、司法試験予備校に通うなどして最短最小のコストで法曹になることを目指すであろう。
これは、法科大学院の教育内容に価値があるか否かという問題ではない。司法試験受験に向けて複数のプロセスが正式に認められ、一方のプロセス(法科大学院ルート)は法曹になった後の実務能力や倫理観の醸成にも配慮した高コストの教育が行われ、もう一方のプロセス(予備校ルート等)では司法試験合格に向けてコストが最小となる方法を提供することとなった場合、経済合理性に則り、より高コストの法科大学院ルートは当然に駆逐される。
そして、新法曹養成制度が採用された背景は、多くの受験生が最短最小のコストで司法試験に合格することを目指すという「試験結果のみによる法曹選抜」では、社会の価値観が多様化する現代社会に必要とされる法曹を養成する方法として不適切であり、この方法では法曹養成における質と量の両立はできないと判断されたからである。だからこそ、法科大学院が司法試験受験の必要条件として設立されたのである。
したがって、法曹となろうとする者は当然そのプロセスを経なければならないというのが、新法曹養成制度の制度趣旨である。その趣旨からは、法科大学院の修了を司法試験の受験資格とするのは当然である。この趣旨自体が間違っていたとして変更されるのであれば、法科大学院制度自体を廃止しなければならない。
 
 
項番 第3「法曹養成制度の在り方」 1法曹養成制度の理念と現状(1)プロセスとしての法曹養成 の関係
 
<意見5>
法曹養成期間の短縮により、多様な人材が法曹を目指しやすい環境を整備すべきである。
 
<理由5>
法曹を目指す有為な人材を一人でも増やすという視点からは、法曹養成期間の短縮は急務である。具体的には、上述のように、①法科大学院と司法修習を共に存在させ続けることに合理性があるか、②両者の両立に一定程度の合理性が認められるとしても、法曹養成期間が長期化しすぎてしまい、有為な人材の法曹への志望を阻害していないか、③さらに法学部の4年間を加えた法曹養成期間は余りに長すぎないか、という問題が本質的に存在している。
この点に関して、私見では、a.大学3年終了時から法科大学院既習クラスへの飛び級入学を大幅に拡大させること、b.司法試験の実施を少なくとも今より1か月半前倒しして4月初旬とし司法試験の合格発表を7月中旬に変更すること、c.司法試験の合格発表後から司法修習開始までの期間において、各法科大学院が法曹三者とも連携し、過去において前期・後期の集合修習として実施されていた内容を司法試験合格者向け教育として拡充実施すること、d.それを前提に司法修習の実施時期を10月1日から翌3月31日までの6か月間程度とすることを提案する。
これらにより、法曹養成期間を短縮し、社会人を含めた多様な人材が、法曹を目指しやすい環境を整備すべきである。
司法修習については、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護の4分野に加え、その他プログラム(国政実務、地方行政実務、立法実務、研究実務、NGO実務、国際機関実務といった各実務修習)の中から、各自1か月単位で3種類以上の科目について研修を実施する。後期修習と二回試験は廃止する。現在の後期修習のカリキュラムのうち重要なものは、弁護士については新規登録研修の必修研修に組み入れ、裁判官、検察官においては、両組織内の新人研修に組み入れる。
このように、法曹養成期間自体は短縮したうえで、法曹となった後の継続教育を充実させ、多様な社会的ニーズに適応できる法曹を育成することが極めて重要である。若手法曹有資格者を対象に、法的知識や技術に加え、ビジネススキルや語学、コミュニケーション能力など、多様な場面で活躍できるスキル・マインドセットを獲得するための継続教育が不可欠である。法科大学院は、この継続教育の提供拠点として、新たな付加価値を社会に対して提示していく努力をすべきである。
 
 
項番 第3「法曹養成制度の在り方」2法科大学院について(2)「法学未修者の教育」 に関して
 
<意見6>
 「共通到達度確認試験(仮称)」を導入することに賛成する。ただし、実施科目は、憲法・民法・刑法の3科目に限り、また、実施内容も基本的な定義・制度意義・要件効果等の最低限の知識習得と、最低限の論理的文書作成能力の醸成を確かめるものとすべきである。
 
<理由6>
 共通到達度確認試験については、特に、社会人が企業を休職して法科大学院に進学する途を拡大すると考えることから賛成である。
 大企業などでは、大学院進学のための休職制度を用意している場合があるが、その多くは2年間ないし3年間をその期間としている。そのため、現状においてほとんどの社会人は、会社を辞めて法科大学院に進学することになるが、司法試験の合格率等を考えた場合に、法曹を目指すために職を辞すほかないというのは、法曹を目指すこと自体を躊躇させてしまう事情である。
 そこで、今後は、社会人が企業を休職して法科大学院に進学できる仕組みを整えることが必要である。そのための方法として、法曹養成期間の短縮と、短期的に適性を見極める機会の提供の二つが必要である。
 このうち、法曹養成期間の短縮については意見5において述べた。共通到達度確認試験は、法曹を目指そうとするもの自身が、短期的に自らの適性を判断し、必要に応じて復職や転身を検討するためのツールとなりうる。
法科大学院1年終了次に、全法科大学院の学生の中で自らの位置取りを確認し、また自分の司法試験合格に向けた適性を把握することは大きな意義を持つ。その時点で、残念ながら自らに適性がないと判断できれば、社会人は企業に戻るという選択肢を考えうるし、いわゆる学卒の法科大学院生は、そのまま企業への就職や公務員への転身を検討できる。
もちろん、長期間の勉強の結果、ついに法曹資格を得る者は従来から存在したし、今後もそのような努力を否定する必要はないが、法曹志願者が自らその適性を判断するための考慮要素の提供は必要不可欠である。
ただし、未修者が法科大学院において学修する場合に、全ての者が順調に最初の1年間で法的思考力を涵養できるとは限らず、法的思考力や法律文書の論述能力の成長には個人差が大きい。そこで、この共通到達度確認試験では、あくまで、法律実務家になるために最低限必要な知識の定着と、最低限の論理的文書作成能力を確認する内容とすべきである。
具体的には、択一試験と論文試験を実施する。択一試験については、憲法・民法・刑法の基本的な定義・制度意義・要件効果等の最低限の知識を問う内容とすべきである。論文試験については、憲法・民法・刑法のうち、受験生が選択した任意の一科目において試験を実施し、司法試験の半分程度の分量の問題を、90分の制限時間で起案させるものとする。比較的難しい法的論点については適宜参考資料を添付することで、知識不足により全く論述ができないという状況に受験生が陥らないように配慮し、あくまで論理的な文章作成能力の確認ができる内容とすべきである。
このように、実施内容については、あくまで法科大学院生が自らの学修進捗と法的思考力に対する適性を確認するために必要十分なものとなるように工夫する必要があるが、この試験を実施すること自体には十分な意義が認められる。
本来であれば学習進捗と法的思考力に関する適性については、各法科大学院の期末試験において到達度が図られるべきであるが、現状においてその評価にばらつきがあるとの問題意識が指摘されるところである。共通到達度確認試験が法科大学院共通の進級試験として実施される場合には、単位を付与した学生が、共通到達度確認試験において軒並み不合格または成績不良の結果となった法科大学院については、その単位認定や教育内容について、更なる改善が求められる。
なお、単位認定は学問の自由や大学の自治と密接に関係するから、国が主導して共通試験を課すべきではないが、法科大学院協会が音頭を取るかたちで、各法科大学院が協力し合ってこのような仕組みを構築することには問題がない。法科大学院における教育は、あくまで法曹養成という目的に照らして必要十分かという視点から評価にさらされる必要があり、各法科大学院は、共通到達度確認試験を通じて、改めて法曹養成機関としての役割を明確に果たしていくことを期待する。
 
 
項番 第3「法曹養成制度の在り方」3「司法試験について」(3)「予備試験制度」 に関して
 
<意見7>
 予備試験は、あくまで例外的な制度であるとの位置づけを堅持すべきである
 
<理由7>
 司法制度改革審議会は「経済的事情や既に実社会で十分な経験を積んでいるなどの理由により法科大学院を経由しない者」にも法曹資格を得る途を確保すべきであるという理由で予備試験の導入を認めた。ところが、実際の合格者は、2012年の第2回予備試験で見ると、大学在学中31.5%、法科大学院在学中27.9%、法科大学院修了11.9%というのであって、大学進学や法科大学院進学の経済力があり、かつ社会人ではないという者が大多数であって、制度趣旨とは全く異なる結果になっている。これ自体が、制度趣旨との関係で、大いに問題である。
ましてや、今後、予備試験による合格者が拡大し、予備試験制度が法科大学院教育を受けずしてより若い年齢で法曹となるための迂回路となってしまったのでは、実務科目等を含む多様な法曹養成教育が必要であるとして法科大学院を設立した新法曹養成制度の趣旨そのものが没却されることとなる。本来、プロフェッション教育は、教育を施す側にとっても、受ける側にとっても手間と費用がかかる仕組みであるから、安易な迂回路を制度的に準備すれば、より低いコストで法曹の迂回路を選択する者が大多数を占めることは容易に想定される。
これは、意見4でも述べた通り、法科大学院教育の質の問題に安易に帰着できるものではない。法曹になろうとする者に対して、必ず習得させたいと考える教育内容、育成プロセスがありながら、それを迂回できる、よりコストの低い別プロセスを準備してしまったのでは、本来のプロセスは不要であると社会的に宣伝しているに等しい。
つまり、予備試験の拡大は制度趣旨を没却させる変更であって、法科大学院におけるプロフェッション教育をあきらめると言っているのと同義である。したがって、現行の法科大学院制度を存在させている限りにおいては、予備試験制度はあくまで例外的な制度として位置付けるべきである。
 
 
以上