寺山修司から引用しましたが、これから法律家、特に弁護士になろうとしている人向けの文章で、結論を先に書きましたので、あとは蛇足になります。ただ、めずらしく、思っていることをそのまま書いてみるので、お時間があれば、少しお付き合いください。

日弁連には、法科大学院関係を取り扱う委員会があり、そこでロースクール出身の弁護士の話を聞くという会合があり、登録1年目に、たまたま参加する機会がありました。

その時にとても印象深かったのは、司法制度改革で、合格者を増やしたのは、インハウスや地方公共団体、司法過疎地等のこれまでの弁護士が入っていない分野に弁護士を送り込むためだということを、とあるロースクールの実務家教員の方がお話しされていたことで、違和感を覚えました。

これまでの自分たちの既得権益は守った上で、自分たちが開拓できていなかったニーズの掘り起こしを若手に丸投げしているように聞こえたからです。

でも、よくよく考えると、新しい船には新しい水夫が乗った方がいいかな、と思います。これから日本も大きく社会構造が変化していく中で、旧来的な弁護士業に固執する弁護士は、取り残されていくだけだと思います。弁護士もコモディティ化しているわけです(このあたりの分析と、そこからどうしていけば良いかは、瀧本哲史著「僕は君たちに武器を配りたい」が面白いです。)。

そういう古い価値観の弁護士を相手にしている時間があったら、いろいろな場所に出かけて、いろいろな人と会ったほうが、有意義だと思います。事件は会議室で起きているんじゃなくて、現場で起きているそうですが、法律家の助けを求める人たちも、法律事務所の中や、弁護士会の中にはいなくて、社会の中にいるはずです。

若手の弁護士は仕事が少なくて、特に東京あたりでは、全然食べていけないという報道がなされたりしますが、そんなことはないと思います。ただ、事務所でじっとしていても、クライアントは向こうからやってくることはないというだけだと思います。広告をする必要もありません。弁護士がいないところへ出かけて、いろんな人と話をして、自分が社会の役に立てると思うことをしてみてください。

弁護士は単なる資格に過ぎません。生きていく上で、弁護士の資格を持っていても、それを必ず使う必要もありません。自分の能力と経験を活用して、社会をより良い方向へと変えていきましょう。その時に、少しは弁護士という資格が役に立つこともあるかもしれない、そういうことなんじゃないかな、と思います。

弁護士  後藤 大