法科大学院設立理念のひとつに、「多様な人材を法曹に」という視点があります。そういった理念が打ち出されたのは、これまでの法曹界に多様な人材が不足していたからであろうと思っていました。

しかし、修習が始まってたくさんの実務家と知り合ってみると、旧司法試験時代の先生方の多様性には驚かされるばかりです。

ある重鎮の先生は、何年もかけて古代ギリシアの法・哲学を研究されていて、時には修習生を集めて古典文献の輪読会を開くこともあります。その先生は、文系・理系を問わず幅広い教養を有しておられ、若い頃から「専門知識は大切だが、『専門バカ』になってはいけない」が持論だったそうです。

また、ある先生からは、日本語を大切にする姿勢を教えていただきました。その先生は分野を問わず多数の本を読み、書面を作成するときには、専門用語を正しく使うことはもちろん、「てにをは」や句読点に至るまでこだわりを持って起案されています。「きちんとした文章を書くことは、法律家の『たしなみ』のひとつであると思う」と仰っていました。

他にも、理系から法学部に転向して弁護士になり、現在も実務と並行して「法と科学」に関する研究を続けている先生や、新聞記者として働きながら旧司法試験に合格して弁護士となった先生など、修習が始まってからの短期間に私が出会った範囲だけでも様々な方がいらっしゃいました。

そのような先生方と接して思うのは、「多様性」とは、必ずしも他の専門分野や職歴を有していることを意味しないということです。他学部出身者が皆、学部時代に自らの専門分野を熱心に勉強していたとは限りませんし、社会人出身者といえども、職種・期間によっては、その経験を必ず法律実務に活かせるというわけでもありません。また、時代の流れは思うより速く、過去にある分野で実績をおさめていたとしても、少し勉強を怠ければ、すぐに取り残されてしまいます。

修習生は、基本的な法律知識・技術の習得に集中すべき段階ではありますが、誰かに勧められた本には必ず目を通す、誘われた会合には分野を問わずできるだけ出席し様々な人と交流する、ということを心がけるだけでも、随分と違う世界が見えてきます。他業種の人々とも積極的に話をし、外側から「法律」「司法」という世界を見たときの素朴な反応や疑問に接することは、今後、実務家としての多様性を身に着けていくにあたっての基盤の構築につながると感じています。

法律家に多様性が求められる理由が、「社会の様々なニーズに対応すること」にあるのだとすれば、形式的な部分に多様性の根拠を求めるのではなく、常に自己の専門以外の分野にも関心を持ち、貪欲に吸収していく姿勢こそが重視されるべきです。充分に多様な諸先輩方がいてもなお、改めて「多様性」が理念とされた意味を問い直し、ロースクール世代の一人として、軽快な知的フットワークを有する法律家を目指したいと思います。

司法修習生(66期)